北九州漫画ミュージアム

ひとことブログ

2020年07月15日
(301)若き日の関谷ひさし 新聞の4コマ漫画で活躍

★過去記事のアーカイブ掲載になります。各種情報は新聞掲載時点のものです。★

連載コラム『出会い 探検 漫画ミュージアム』第301回
『西日本新聞』北九州版 2020年5月3日(日)朝刊 16面掲載

若き日の関谷ひさし 新聞の4コマ漫画で活躍

 今回は北九州市門司出身のマンガ家・関谷ひさし(1928~2008)の業績紹介第3弾をお届けします。「ジャジャ馬くん」「ストップ!にいちゃん」など特に1960年代ごろに代表作を多く残した関谷は、50年代末に上京するまでは北九州にあった新九州新聞社に編集部員として勤めていました。
39歳の時に旺文社の雑誌『高一時代』に寄稿した関谷の回想によれば、「終戦後、復員してからは、自動車部品と電気器具販売の店で店員として、ポンコツ自転車でそれこそ雨にも負けず走りまわった」とのこと。新九州新聞社への入社は48年前後と思われ、初めは子ども向けの『まんが新九州』で、その廃刊後は本紙の『新九州新聞』で、約10年間、腕をふるいました。
 図版はその北九州時代に描かれた「ルリちゃん」という女の子を主人公にした4コママンガです。52年から約5年間『新九州新聞』で連載されました。もともと描くことが好きな上にやりがいがあり、徹夜もいとわなかったことを関谷は書き残しています(同『高一時代』より)。
 また、北九州にいる頃から学習研究社の学年誌にも作品が掲載されるようになります。『二年の学習』54年5月号では「たことえんぴつ」というマンガで、鉛筆をダース(12本)と数えることを、タコの足の本数と引っかけて算数の知識をユーモラスに教えています。
 月刊少年マンガ誌の黄金時代に発表したスポーツマンガが代表作とされる関谷ですが、まんが新聞や学年誌での若き日の活躍もぜひ目にとめていただければと思います。
(学芸員 柴田沙良)