2025年09月22日
(558)北九州市立美術館で黒田征太郎展 手塚治虫に憧れた少年期
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連載コラム『出会い 探検 漫画ミュージアム』第558回
『西日本新聞』北九州版 2025年9月21日(日)朝刊 16面掲載
北九州市立美術館で黒田征太郎展
手塚治虫に憧れた少年期
20日、「黒田征太郎展 絵でできること」が北九州市立美術館で始まりました。これまでに制作された20万点超の作品を厳選し、作家の作風の変遷と功績を大回顧する初の試みです。
黒田先生は1939年、大阪府生まれ。戦後、船員として航行する合間に絵に興味を持ち、69年に長友啓典とデザイン事務所K2を設立します。92年にはニューヨークにアトリエを構え、国際的に活動していましたが、2009年、門司港にアトリエを移して以降は北九州市を拠点にしています。
イラストレーター・デザイナー・画家と多くの肩書を持てど、漫画家とは通常呼ばれない黒田先生をなぜ当コラムで取り上げるのかと言うと、「漫画」が彼の創作の原点の一つだからです。
9歳の時に出合った手塚治虫の「新寶島」にいたく感銘を受けたと言い、少年時代には手塚が「ジャングル大帝」を連載していた雑誌『漫画少年』に自作品を投稿するなど、漫画家を目指していた時期がありました。過去の展覧会タイトルに「僕は手塚治虫になりたかった」と銘打つところからも、その憧憬の念がいかに強かったか、よく分かるというものです。
北九州市を代表する漫画家といえば松本零士先生ですが、松本先生は1938年生まれで、黒田先生と同世代。手塚に憧れ『漫画少年』に投稿を重ねたという道程まで共通しています。くしくも、当館では27日から「松本零士展」が始まります。手塚という偉大な存在に手を伸ばし、その挑戦を糧とし別の道を歩んだ二人の作家の軌跡を、展覧会をはしごして時代の空気ごと感じてみてはいかがでしょうか。
(学芸員・石井茜)
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